夜船閑話
中文翻譯
[edit]夜船閑話序言
【一】前言 寶歷丁丑年春天,長安書坊(松月堂)的某個人,從遠方寄了一封信給我的鹄林侍者,內容如下: 「據聞令師的舊紙集藏書中,有一本『夜船閑話』的草稿,據聞此書主要記載練氣養精,長生久視的神仙鍊丹秘訣,人人皆欲一窺其究竟。 尊師少部分弟子們雖有此祕笈之手抄錄本,但悉皆祕密珍藏,未肯對外界輕洩一二! 吾意以為若只把此修身要籍永久藏於金櫃,束之高閣而祕不示人,真可謂暴殄天物,使英雄無用武之地也,倒不如將之公之於世,使大眾皆能蒙受其益。祈閣下能將吾之意見轉告尊師,吾信此亦老禪師當初著作此書,廣度眾生之本願,故應不會吝於法布施也!J
於是,我(侍者自稱)當下便把書坊老闆的信函呈給老師看,老師在知悉來信之本意後,大開方便之門,歡喜讃歎,並隨喜功德,即命門人入藏經閣內搜尋此書册之下落!竟發現此書原稿已因年代日久,收藏環境又欠佳,有一大半的內容已被蠹蟲所蠶食,我等當即用眾師兄弟間冁流傳的珍藏手抄錄本及節錄筆記加以會集校對訂正,以補充原稿缺漏之內容文句,並重新整理裝訂成册,最後呈交老師覢自監修審閱,修正缺失並題辭作序,以記述此書得以出版面世之殊勝因緣!
【二】序言 老衲長居於鵠林山已有四十多年,謹遵師祖訓示,精進修行,足不出户,並建立道場,收徒授業。眾弟子們來此修行參學,往往掛單十年,乃至二十年不等,然皆不負老僧所望,大都學有所成,頭角崢嶸者為數不少!
由於敝寺地方有限,新來的行脚僧只好寄居於寺外四周,他們棲身於廢宅舊舍,乃至借宿於破廟空寺,餐風露宿,備受艱辛,饑寒交迫,過着非常刻苦的修行生活。但旁觀者因未能設身處地感受其苦,皆不以此為然也。
這些行脚僧初來時,外表不乏有如宋玉、何晏般肌膚潤澤、凝脂如膏的俊美之士,但苦修一些時日之 後,就變得如杜甫、賈島般的顏面憔悴、形容枯槁,更有甚者,有如屈原之可憐清風瘦骨相,身體變得衰弱不堪。
但弟子們雖備嘗眾苦,卻甘之如飴。如此不顧軀命,參禪苦修, 終因心力交瘁,而致百病叢生,受苦不堪。老衲目睹此情此景,心中實有不忍,乃決意將自身之親身體驗及智 慧精華「內觀祕法」傾囊相授。
【三】正文 訣曰:諸參禪辦道之行人,若心火上炎,致身心虚勞,五臟不調,縱使針、灸和湯藥三管齊下,甚至神醫華陀、扁鵲再世,也是徒然罔效的!幸老纳得神仙煉丹之祕傳囗訣,徒兒們不妨一試其究竟,吾敢擔保不日當有撥雲見日之奇效。
然而修此秘訣之前,先要暫時放下從前一切參話頭的工夫,並休歇一切雜念妄想,大熟睡覺一場。入睡之前,先將兩足盡情伸展向下,猶如用力踏在大地之上。同時先把全身的元氣及精神集中於肚臍、氣海及下丹田之間,並進而下行至腰腿,直至兩足足心為止。並且需要常常也這麼修習!
並默唸:「如果我的氣海、下丹田、乃至足心,是我的本來的面目,然而在這本來面目中,那會有鼻孔呢? 若我的氣海、下丹田,即是唯心淨土,然而在這片淨土中,那來的莊嚴呢? 若我的氣海、下丹田本是自身之彌陀,但這個自性彌陀是不會說法的呢? 」
只要長期累積這種妄想亚觀修下去,全身的元氣就會不知不覺地在腰脚及足心之閒充實起來,這時臍下丹田就有如打滿了氣的皮球一樣渾然有力。下腹部瓠然猶如未受籐打的氣球般!如此修行五日、七日乃至二七或三七二十一日後,從前所有的五積六聚、氣虛勞役種種病症,即可一掃而空,並轉危為安,痊癒並且不再發作,其或不然,可截取老僧頸上人頭也!
諸弟子聞教後,歡喜之狀,無以名之,從此依教精修,果獲驚人效驗!然而收效之快慢,則視乎修行者行持之粗細程度而定,然而最终皆可依之而獲得痊癒,故他們對之皆讚嘆不已!
【四】師曰:「汝等不可得小為足,而應更上一層樓,倍加精進參禪,力求早日開悟!老衲早年參禪時,亦曾百病纏身,所受之苦,比之諸子,大於十倍,可謂已到進退兩難之地步,甚至生出一死了之的念頭,已求解脱色身之病苦!慶幸此時竟能絕處逢生,得遇異人傳授此内觀秘訣,得以回復生機,如今,吾亦將之授於汝等,使諸位亦能脱離種種病苦之折磨! 一些對老莊之學頗有研究之能士,也認為這是神仙之術,修煉之能獲三百多年之壽數。而吾意以為,諸子只要勤而行之,三年之内,必能壯氣強身,異於常人。 在此,我心裡不斷地重複著,即使彭祖能掌握所有這些不同的神仙之術,但一個人如果空有綿綿不息的歲數,縱使能如彭祖一樣活到八百年,也只不過是一具頑空愚昧的活死人,就像一隻 死了的惡魔睡在老浣熊的洞穴裡一樣,最終也將回歸毀滅。不 知道為什麼,現在葛洪、鐵拐、張華、費張之仙輩已不可見,仍無法超脫無常的生死! 故此,光是修得一具長生不死的皮囊是無意義的,最重要的是能發四 弘之誓願,學諸菩薩之威儀,謹記遠離妄語,時時不忘講法布施,堅韌不屈,為得空前不滅、空後不滅、與虛空同在,與宇宙合一的真法身,並成就金剛不壞之大仙體。 當年,我與道友二、三人,一起修行『內觀秘法』及『參禪工夫』,一面內觀修行身 心、以參禪進行法戰,一邊自耕自食。 如此經過三十年,年年都會增收幾名新弟子加入修行,至今已逾二百之眾。當他們初來時,每每因過於勤練而身 染重疾, 其中也有弟子經不起嚴格的考驗,中途而廢,但有更多的人抱病苦修,其情可憐可救濟,老衲總授之以當年 所學之『內觀法』秘法,傳與大眾,使之體舒心泰,能安心參修道,了悟 如今老衲已屆古稀之齡,然身體無恙,但體朗,耳聰目明。 每個月 有兩次講法布施,前來聽法者,多達三、五百之眾,如此講經論典,數十十五、六十 天,然我數年如一日,從未罷過講齋,從無怠乏之感,這完全全拜『內觀法』之 賜。
【五】住庵諸弟子喜極而泣,皆拜曰:「願吾師大慈大悲,將此「內觀秘法」大略撰寫成書,傳於後世, 乃吾等後世晚輩之幸也!」老禪師欣然應允,提筆疾書,不久即完成『夜船閒話』手稿。 書曰:「大凡延生益壽之道,不若練形。練形之要乃在於神氣凝於丹田和氣海之間。神凝則氣 聚,氣聚則丹成,丹成則形固,形固則神全,神全則壽長,此為仙人九轉還丹之秘訣,不可不 知。 丹原非身外之物,全在於心火下降,凝於氣海和丹田之間而已。 諸子若動而不怠,精練此心要,則疑團消百病除,豁然開朗。 何故呢?乃因月高城影盡。 」 維時寶歷丁丑孟正 二十五日 」
」
未完成,翻譯中..................
日文原文
[edit]夜 船 閑 話
夜 船 閑 話 序 窮 乏 庵 主 饑 凍 選
寶暦丁丑(ていちう)の春長安の書肆(しよし)松月堂何某(なにがし)とかや聞えし、遠く草書を裁(さい)して吾が鵠林(こふりん)近侍の左右に寄せて云(いは)く、伏して承る、老師の古紙堆(こしたい)中、夜船閑話(やせんかんな)とかや云へる草稿あり、書中多く氣を錬り精を養ひ、人の營衞(えいゑ)をして充たしめ、專(もつぱ)ら長生久視(ちやうせいきうし)の秘訣を聚(あつ)む、謂はゆる神仙錬丹(しんせんれんたん)の至要(しえう)なりと。是の故に世の好事(かうず)の君子是(こ)れを思ふ事、荒旱(くわうかん)の雲霓(うんげい)の如し。偶々(たまたま)雲水の徒侶(とりよ)竊(ひそか)に轉寫し來(きた)るあるも、祕重し珍藏して人をして見せしめず。天瓢(てんぺう)空しく櫃(ひつ)にをさめて匿(かく)したるが如し。願くは是れを梓(し)に壽(いのちなが)ふして、以て其(そ)の渇(かつ)を慰(ゐ)せん。聞く、老師常に人を利するを以て老後を樂しみたまふと。若(も)し夫(そ)れ人に利あらば、師豈(あ)に是れを吝(をし)みたまはんやと。二虎(にこ)含み來(きた)つて師に呈す。師微々(びび)として笑ふ。此(こゝ)において諸子舊書櫃(きうしよき)を開けば、草稿蠹魚(とぎよ)の腹中に葬らるゝもの中葉(なかば)に過ぎたり。諸子即ち訂正傳寫して既に五十來紙(らいし)を見る。即ち封裹(ふうくわ)して以て京師(けいし)に寄せんとす。予が馬齒(ばし)一日(いちじつ)も諸子に長(ちやう)たるを以て、其の端由(たんゆ)を書せん事を責む。予も亦辭せずして書す。云(いは)く、師鵠林(こふりん)に住する事大凡(おほよそ)四十年、鉢嚢(はつなう)を掛けしより以來(このかた)、雲水參玄(うんすゐさんげん)の布衲子(ふのつす)、纔(わづ)かに門閫(もんこん)に跨(またが)れば、師の毒涎(どくぜん)を甘(あま)ない、通棒を滋(うま)しとして、辭し去る事を怠(わす)るゝ者、或は十年、或は二十年、鵠林々下の塵となる事も、亦總(そう)に顧みざる底(てい)あり。盡(ことごと)く是れ叢林(そうりん)の頭角(づかく)、四方(しはう)の精英なり。各々(おのおの)西東(さいとう)五六里が間(あひだ)に分れて、舊舎廢宅、老院破廟(はべう)、借りて以て菴居(あんきよ)の處として淸苦(せいく)す。朝艱暮辛(てうかんぼしん)、晝餒夜凍(ちうたいやとう)、口に投ずる者は菜葉麥麩(さいえふばくふ)、耳に觸るゝ者は熱喝垢罵(ねつかつくめ)、骨に徹する者は嗔拳痛棒(しんけんつうぼう)、見る者顙(ひたひ)を攅(あつ)め、聞く者肌(はだへ)に汗す。鬼神(きじん)もまた涙を浮べつべく、魔外(まげ)もまた掌(たなごゝろ)を合せつべし。其の初め來(きた)る時は、宋玉(そうぎよく)、何晏(かあん)が美貌有りて、肌膚(きふ)光澤凝(こ)れる膏(あぶら)の如くなる者も、久しからずして、恰(あたか)も杜甫、賈島(かとう)が形容杜槁(けいようこかう)、顔色憔悴(がんしよくせうすゐ)するが如く、或は屈子(くつし)に澤畔(たくはん)に逢ふが如し。參玄軀命(さんげんくみやう)を顧みざる底(てい)の勇猛の上士(じやうし)にあらざるよりんば、何の樂(たのし)み有りてか、片時(へんじ)も湊泊(そうはく)する事を得んや。是の故に、往々に參窮(さんきゆう)度に過ぎ、淸苦(せいく)節を失する族(やから)は、肺金(はいきん)いたみかじけ、水分枯渇して、疝癖塊痛(せんぺきくわいつう)、難治の重症を發せんとす。是れを憐み是れを愁ひて、師不豫の色有る者連日、乍(たちま)ち忍俊(にんしゆん)不禁にして、雲頭を按下(あんげ)し、老婆の臭乳(しうにう)を絞つて、是れに授くるに内觀の秘訣を以てす。乃(すなは)ち云(いは)く、若(も)し是れ參禪辨道の上士(じやうし)、心火(しんくわ)逆上し、身心勞疲し、五内(ごない)調和せざる事あらんに、鍼灸藥(しん・きう・やく)の三つを以て是れを治(ぢ)せんと欲せば、縱(たと)ひ華陀扁倉(くわだ・へん・さう)と云へども、輙(たやす)く救ひ得(う)る事能はじ。我に仙人還丹(せんにんげんたん)の秘訣あり、儞(なんぢ)が輩(ともがら)試(こゝろみ)に是れを修せよ、奇功を見る事、雲霧を披(ひら)きて皎日(かうじつ)を見るが如けん。若し此の秘要(ひえう)を修せんと欲せば、且(しば)らく工夫を抛下(はうげ)し、話頭を拈放(ねんはう)して、先づ須(すべか)らく熟睡一覺すべし。其の未だ睡りにつかず、眼(まなこ)を合せざる以前に向(むか)つて、長く兩脚(りやうきやく)を展(の)べ、強く踏みそろへ、一身の元氣をして、臍輪氣海丹田腰脚足心(さいりん・きかい・たんでん・えうきやく・そくしん)の間(あひだ)に充たしめ、時々(じゞ)に此の觀を成すべし。我が此の氣海丹田腰脚足心、總(そう)に是れ我が本來の面目(めんもく)、面目何の鼻孔(びこう)かある。我が此の氣海丹田、總に是れ我が本分の家郷、家郷何の消息かある。我が此の氣海丹田、總に是れ我が唯心(ゆゐしん)の淨土、淨土何の莊嚴(しやうごん)かある。我が此の氣海丹田、總に是れ我が己心(こしん)の彌陀(みだ)、彌佗何の法をか説くと、打返し打返し常に斯(かく)の如く妄想(まうざう)すべし。妄想の功果(こうくわ)積らば、一身の元氣いつしか腰脚足心の間に充足して、臍下瓠然(こぜん)たる事、未だ篠打(しのうち)せざる鞠(まり)の如(ごと)けん。恁麼(いんも)に單々に妄想(まうざう)し將(も)ち去つて、五日(じつ)七日(じつ)乃至二三七日(じつ)を經たらむに、從前の五積六聚(ごしやくろくじゆ)氣虚(ききよ)勞役(らうえき)等の諸症、底(そこ)を拂つて平癒せずんば、老僧が頭(かうべ)を切り將(も)ち去れ。此(こゝ)に於て、諸子歡喜作禮(くわんきさらい)して密々(みつみつ)に精修す。各々悉(ことごと)く不思議の奇功を見る。功の遲速は、進修の精麤(せいそ)に依るといへども、大半(たいはん)皆全快す。各々内觀の奇功を讃嘆して休(や)まず。師の曰く、儞(なんぢ)が輩(ともがら)、心病全快を得て以て足れりとする事勿(なか)れ。轉(うた)た治(ぢ)せば轉(うた)た參ぜよ。轉(うた)た悟らば轉(うた)た進め。老僧初め參學の時、難治の重病を發して、其の憂苦、諸子に十倍せり。進退惟(これ)谷(きは)まる。尋常(つねに)心にひそかに思惟(しゆゐ)すらく、生きて此の憂愁に沈まんよりは、如(し)かじ早く此の革嚢(かくなう)を捨てんにはと。何の幸(さひはひ)ぞや、此の内觀の秘訣をつたへて全快を得(う)る事、今の諸子の如くならむとは。至人(しいじん)の云(いは)く、此は是れ神仙長生不死の神術なり。中下(ちゆうげ)は世壽(せいじゆ)三百歳なるべし。其の餘(よ)は計り定むべからず。予即ち歡喜に堪へず。精修怠らざる者大凡(おほよそ)三年、心身次第に健康に、氣力次第に勇壯なる事を覺ゆ。此(こゝ)に於て、重ねて心に竊(ひそ)かに謂(おも)へらく、縱(たと)ひ此の眞修を修し得て、彭祖(はうそ)が八百の歳時(さいじ)を保ち得るも、唯是れ一箇頑空無智(ぐわんくうむち)の守屍鬼(しゆしき)ならくのみ。老狸(らうり)の舊窠(きうくわ)に睡るが如し。終に壞滅(ゑめつ)に歸せん。何が故ぞ、今既に獨りも葛洪(かつこう)、鐡枴(てつかい)、張華(ちやうくわ)、費張(ひちやう)が輩(ともがら)を見ず。如(し)かじ、四弘(しぐ)の大誓(たいせい)を憤起し、菩薩の威儀を學び、常に大法施(だいはふせ)を行(ぎやう)じ、虚空(こくう)に先(さきだ)ちて死せず、虚空に後れて生ぜざる底(てい)の不退堅固(ふたいけんご)の眞法身(しんほつしん)を打殺(だせつ)し、金剛不壞(こんがうふゑ)の大仙身(だいせんしん)を成就せんにはと。此(こゝ)に於て、眞正參玄(しんしやうさんげん)の上士(じやうし)兩三輩(はい)を得て、内觀と參禪と共に合せ並べ貯へて、且つ耕し且つ戰ふ者、蓋(けだ)し茲(こゝ)に三十年。年々一員を添へ二肩(けん)を増し得て、今既に二百衆に近し。其の中間、方來(はうらい)の衲子(のつす)、勞屈疲倦(らうくつひけん)の族(やから)、或は心火逆上し將(まさ)に發狂せんとする底(てい)を憐み、密(つまびら)かに此の内觀の至要(しえう)を傳授し、立所(たちどころ)に快癒せしめ、轉(うた)た悟れば轉(うた)た進ましむ。馬年(ばねん)今歳(こんさい)古稀に越えたりと云へども、半點の病患なく、齒牙(しが)全く搖落せず、眼耳(がんに)次第に分明(ぶんみやう)にして、動(やゝ)もすれば靉靆(あいたい)を忘る。毎月(まいげつ)兩度の法施(はふせ)終に怠倦(たいけん)せず、請(しやう)に佗方(たはう)に應じて、三百五百の海象(かいざう)を聚會(しゆうゑ)して、或は五旬七旬を、經(きやう)に録(ろく)に、雲水の所望(しよまう)に隨つて胡説亂道(うせつらんだう)する者、大凡(おほよそ)五六十會(ゑ)に及ぶといへども、終に一日も罷講(はかう)齋(さい)を鎖(とざ)さず。身心健康、氣力は次第に二三十歳の時には遙かに勝(ま)されり。是れ皆彼(か)の内觀の奇功に依る事を覺ゆ。住菴(じうあん)の諸子、各々悲泣作禮(ひきうさらい)して云く、吾が師大慈大悲、願(ねがは)くは内觀の大略(たいりやく)を書せよ。書して留(とゞ)めて、後來(こうらい)禪病疲倦(ぜんびやうひけん)吾が輩(ともがら)の如き者を救へ。師即ち頷(がん)す。立處(たちどころ)に草稿成る。稿中何の説く所ぞ。曰く、大凡(おほよそ)生を養ひ長壽を保つの要は、形を錬るに如(し)かず。形を錬るの要、神氣をして丹田氣海の間に凝(こ)らさしむるにあり。神(しん)凝る則(とき)は氣聚(あつま)る。氣聚る則(とき)は即ち眞丹(しんたん)成る。丹成る則(とき)は形(かたち)固し。形固き則(とき)は神(しん)全し。神全き則(とき)は壽(いのちなが)し。是れ仙人九轉還丹(せんにんきうてんげんたん)の秘訣に契(かな)へり。須(すべか)らく知るべし、丹(たん)は果して外物(ぐわいぶつ)に非ざる事を。千萬(せんばん)唯(たゞ)心火(しんくわ)を降下(かうげ)し、氣海丹田の間に充たしむるに有るらくのみ。住菴(じうあん)の諸子、此の心要を勤めてはげみ、進んで怠らずんば、禪病を治(ぢ)し勞疲を救ふのみにあらず、禪門向上の事に到つて、年來疑團(ぎだん)あらむ人々は、大きに手を拍して大笑する底(てい)の大歡喜有らん。何が故ぞ、月高くして城影(じやうえい)盡(つ)く。
維時(これとき)寶暦丁丑孟正(まうしやう)二十五蓂(めい)
窮乏庵主饑凍(きうぼふあんしゆきとう)炷香(ちうかう)稽首題(けいしゆだい)
夜 船 閑 話 白 隠 禅 師
山野(さんや)初め參學の日、誓つて、勇猛の信々(しんじん)を憤發し、不退の道情(だうじやう)を激起(げきき)し、精錬(せいれん)刻苦する者既に兩三霜、乍(たちま)ち一夜忽然(こつぜん)として落節(らくせつ)す、從前多少の疑惑、根(こん)に和して氷融し、曠劫(くわうがふ)生死(しやうじ)の業根(ごふこん)、底(てい)に徹して漚滅(おうめつ)す。自(みづか)ら謂(おも)へらく、道(みち)人を去る事寔(まこと)に遠からず、古人二三十年、是(こ)れ何の捏怪(ねつくわい)ぞと、怡悦(いえつ)蹈舞(たうぶ)を忘るゝ者數月。向後(きやうご)日用を廻顧(くわいこ)するに、動靜(どうじやう)の二境全く調和せず、去就(きよしう)の兩邊總(そう)に脱洒(だつしや)ならず。自(みづか)ら謂(おも)へらく、猛(たけ)く精彩を著(つ)け、重ねて一回捨命(しやみやう)し去らむと、越(こゝにおい)て牙關(げくわん)を咬定(かうぢやう)し、雙眼(さうがん)睛(せい)を瞠開(どうかい)し、寢食ともに廢せんとす。既にして、未(いま)だ期月(きげつ)に亘(わた)らざるに、心火(しんくわ)逆上し、肺金(はいきん)焦枯(せうこ)して、雙脚(さうきやく)氷雪の底(そこ)に浸すが如く、兩耳(りやうじ)溪聲(けいせい)の間(あいだ)を行くが如し。肝膽(かんたん)常に怯弱(きよじやく)にして、擧措(きよそ)恐怖多く、心身困倦(こんけん)し、寐寤(びご)種々の境界を見る。兩腋(りやうえき)常に汗を生じ、兩眼常に涙を帶ぶ。此(こゝ)に於て、遍(あまね)く明師(めいし)に投じ、廣く名醫を探ると云へども、百藥寸功(すんこう)なし。或人曰(いは)く、城(じやう)の白河の山裏(さんり)に巖居(がんきよ)せる者あり、世人(せじん)是れを名づけて白幽(はくいう)先生と云ふ、靈壽(れいじゆ)三四甲子(かつし)を閲(けみ)し、人居(じんきよ)三四里程を隔つ、人其の賢愚を辨ずる事なし、里人(りじん)專(もつぱ)ら稱して仙人とす、聞く、故(もと)の丈山氏の師範にして、精(くは)しく天文に通じ、深く醫道に達す、人あり禮を盡して咨叩(しこう)する則(とき)は稀に微言を吐(は)く、退きて是(こ)れを考ふるに、大(おほい)に人に利ありと。此(ここ)に於て寶永第七庚寅(かういん)孟正(まうしやう)中浣(ちゆうくわん)、竊(ひそ)かに行纏(あんてん)を著(つ)け、濃東(のうとう)を發し、黑谷(くろだに)を越え、直(たゞち)に白河の邑(いふ)に到り、包(つゝみ)を茶店(さてん)におろして幽が巖栖(がんせい)の處を尋(たづ)ぬ、里人(りじん)遙(はるか)に一枝(いつし)の溪水を指(ゆびさ)す、即ち彼(か)の水聲に隨つて、遙(はるか)に山溪に入(い)る。正(まさ)に行く事里(り)ばかりに、乍(たちま)ち流水を踏斷(たうだん)す。樵徑(せうけい)もまたなし。時に一老夫あり、遙に雲煙の間(あひだ)を指(さ)す。黄白(わうはく)にして方(はう)寸餘(すんよ)なる者あり、山氣に隨つて或(あるひ)は顯はれ或は隱る。是(こ)れ幽が洞口(どうこう)に垂下(すゐげ)する所の蘆簾(ろれん)なりと。予即ち裳(もすそ)を褰(かゝ)げて上(のぼ)る。巉巖(ざんがん)を踏み、蒙茸(もうじよう)を披(ひら)けば、氷雪草鞋(さうあい)を咬(か)み、雲露衲衣(のふえ)を壓(あつ)す。辛汗(しんかん)を滴(したゝら)し、苦膏(くかう)を流して、漸く彼(か)の蘆簾の處に到れば風致淸絶實(じつ)に物表(ぶつぺう)に丁々(ちやうちやう)たる事を覺ゆ。心魂震(ふる)ひ恐れ肌膚(きふ)戰慄す。且(しば)らく巖根(がんこん)に倚(よ)りて數息する者數百、少焉(しばらく)ありて、衣(ころも)を振ひ襟を正して、畏(お)づ畏(お)づ鞠躬(きくきう)して簾子(れんし)の中(うち)を望めば、朦朧として幽が目を收めて端坐するを見る。蒼髮(そうはつ)垂れて膝に到り、朱顔(しゆがん)麗(うるはし)くして棗(なつめ)の如し、大布(たいふ)の袍(はう)を掛け、輭草(なんさう)の席に坐せり。窟中(くつちゆう)纔(わづか)に方(はう)五六笏(しやく)にして、全く資生の具(ぐ)無し。机上(きじやう)只(たゞ)中庸と老子と金剛般若とを置く。予則(すなは)ち禮を盡して、苦(ねんご)ろに病因を告げ、且(か)つ救ひを請ふ。少焉(しばらくありて)幽眼(まなこ)を開いて熟々(つらつら)視て、徐々として告げて曰く、我は是(こ)れ山中半死の陳人(ちんじん)、櫨(さ)栗(りつ)を拾ひて食(くら)ひ麋鹿(びろく)に伴つて睡る、此外(このほか)更に何をか知らんや、自(みづか)ら愧(は)づ、遠く上人(しやうにん)の來望を勞する事を。予即ち轉(うた)た咨叩(しこう)して休(や)まず。時に幽恬如(てんじよ)として予が手を捉へて、精(くは)しく五内(ごだい)を窺(うかゞ)ひ、九候を察す。爪甲(さうかう)長き事半寸、慘乎(しんこ)として顙(ひたひ)を攅(あつ)めてつげて云(いは)く、已哉(やんぬるかな)、觀理(くわんり)度に過ぎ進修(しんしう)節を失して、終(つひ)に此の重症を發す、實に醫治(いぢ)し難(がた)き者は公(こう)の禪病なり、若(も)し鍼灸藥(しんきうやく)の三つの物を恃(たの)みて、而(しかう)して後に是(こ)れを救はんと欲せば、扁倉(へんそう)力を盡し華陀(くわだ)顙(ひたひ)を攅(あつ)むるも、奇功を見る事能(あた)はじ、公今(いま)觀理の爲(た)めに破らる、勤めて内觀の功を積まずんば終(つひ)に起(た)つ事能はじ、是れ彼(か)の起倒は必ず地に依るの謂(いひ)なり。予が曰く、願わくば内觀の要秘(えうひ)を聞かん、學びがてらに是れを修せん。幽肅々如(しゆくしゆくじよ)として容(かたち)をあらため從容(しようよう)として告(つげ)て曰く、嗚呼(あゝ)公の如きは問ふ事を好むの士なり、我が昔(むか)し聞ける所を以て微(すこ)しく公に告げんか、是れ養生の秘訣にして人の知る事稀なり、怠らずんば必ず奇功を見む、久視(きうし)も亦期しつべし。夫(そ)れ大道(だいどう)分れて兩儀あり、陰陽(いんやう)交和して人物生(うま)る、先天(せんてん)の元氣中間に默運(もくうん)して五臟列(つらな)り經脈(けいみやく)行はる、衛氣(えいき)營血(えいけつ)互に昇降循環する者晝夜に大凡(おほよそ)五十度、肺金(はいきん)は牝臟(ひんざう)にして膈上(かくじやう)に浮び肝木(かんぼく)は牡臟(ぼざう)にして膈下(かくか)に沈む、心火(しんくわ)は大陽(たいやう)にして上部に位(くらゐ)し腎水(じんすゐ)は大陰(たいいん)にして下部を占む。五臟に七神(しちじん)あり、脾腎(ひじん)各々二神を藏(かく)す。呼(こ)は心肺より出(い)で吸(きう)は腎肝(じんかん)に入(い)る。一呼に脈の行(ゆ)く事三寸一吸に脈の行く事三寸、晝夜に一萬三千五百の氣息(きそく)あり。脈一身を巡行する事五十次(じ)、火は輕浮(けいふ)にしてつねに騰昇(とうしよう)を好み水は沈重(ちんじう)にしてつねに下流を務(つと)む。若(も)し人察せず、觀照或は節を失し志念(しねん)或は度に過ぐる時は心火熾衝(ししよう)して肺金焦薄(せうはく)す、金母(きんぼ)苦しむ則(とき)は水子(すゐし)衰滅す、母子互に疲傷(ひしやう)して、五位困倦(こんけん)し六屬凌奪(りやうだつ)す、四大増損(ぞうそん)して各々(おのおの)百一の病(やまひ)を生ず、百藥功を立つる事能(あた)はず、衆醫(しゆうい)總(そう)に手を束(つか)ねて終(つひ)に告ぐる處なきに到る。蓋(けだ)し生を養ふ事は國を守るが如し、明君聖主は常に心を下(しも)に專(もつぱら)にし暗君庸主(ようしゆ)は常に心を上(かみ)に恣(ほしいまゝ)にす、上に恣にする則(とき)は九卿(きうけい)權に誇り百僚寵(ちやう)を恃(たの)んで曾(かつ)て民間の窮困を知る事なし、野(や)に菜色(さいしよく)多く國餓莩(がへう)多し、賢良濳(ひそ)み竄(かく)れ臣民瞋(いか)り恨む、諸侯離れ叛(そむ)き衆夷(しゆうい)競(きそ)ひ起(おこ)つて、終に民庶を塗炭(とたん)にし國脈永く斷絶するに到る。心を下(しも)に專(もつぱら)にする則(とき)は九卿儉(けん)を守り百僚約(やく)を勤めて常に民間の勞疲を忘るゝ事なし、農に餘(あま)んの粟(ぞく)あり婦(ふ)に餘んの布(ふ)ありて、群賢來(きた)り屬し諸侯恐れ服して民肥(こ)え國強く令に違(ゐ)するの烝民(じようみん)なく境(さかひ)を侵すの敵國なし、國刁斗(てうと)の聲を聞く事なく民戈戟(くわげき)の名を知らず。人身(じんしん)もまた然(しか)り、至人(しいじん)は常に心氣をして下(しも)に充たしむ、心氣下に充つる時は七凶(しちきよう)内に動く事無く四邪(しじや)また外(そと)より窺(うかゞ)ふ事能はず、營衛(えいゑ)充ち心神健(すこや)かなり、口終(つひ)に藥餌の甘酸(かんさん)を知らず、身終(つひ)に鍼灸(しんきう)の痛痒(つうやう)を受けず。庸流(ようりう)は常に心氣をして上(かみ)に恣(ほしいまゝ)にす、上(かみ)に恣(ほしいまゝ)にする時は左寸(さすん)の火(くわ)右寸(うすん)の金(きん)を剋(こく)して五官縮(ちゞま)り疲れ六親(りくしん)苦しみ恨む。是(こ)の故に、漆園(しつえん)曰く、眞人(しんじん)の息(いき)は是れを息(そく)するに踵(くびす)を以てし、衆人の息(いき)は是れを息(そく)するに喉(のんど)を以てす。許俊(きよしゆん)が云(いは)く、蓋(けだ)し氣下焦(かせう)に在る則(とき)は其の息遠く、氣上焦(じやうせう)に在る則は其の息(いき)促(しゞ)まる。上陽子(じやうやうし)が曰く、人に眞一の氣有り、丹田(たんでん)の中(うち)に降下(かうげ)する則(とき)は一陽また復す、若し人始陽(しやう)初復(しよふく)の候を知らんと欲せば暖氣を以て是れが信とすべし、大凡(おほよそ)生を養ふの道、上部は常に淸凉ならん事を要し下部は常に温暖ならん事を要せよ。夫(そ)れ經脈の十二は支(し)の十二に配し月の十二に應じ時の十二に合(がつ)す、六爻(かう)變化再周して一歳を全(まつた)ふするが如し。五陰(ごいん)上(かみ)に居(きよ)し一陽下(しも)を占む、是れを地雷復(ぢらいふく)と云ふ、冬至(とうじ)の候なり、眞人の息(いき)は是れを息(そく)するに踵(くびす)を以てするの謂(いひ)か。三陽下(しも)に居(きよ)し三陰上(かみ)に居(きよ)す、是れを地天泰(ちてんたい)と云ふ、孟正(まうしやう)の候なり、萬物發生の氣を含んで、百卉(ひやつき)春化(しゆんくわ)の澤(たく)を受く、至人(しいじん)元氣をして下(しも)に充たしむるの象(しやう)、人是れを得る則(とき)は、營衛(えいゑ)充實し氣力勇壯なり。五陰下(しも)に居(きよ)し一陽上(かみ)に止(とゞ)まる、是れを山地剥(さんちはく)といふ、九月の候なり、天是れを得る則(とき)は、林苑(りんゑん)色を失し百卉(ひやつき)荒落(くわうらく)す、是れ衆人の息は、是れを息(そく)するに喉(のんど)を以てするの象(しやう)、人是れを得る則(とき)は、形容枯槁(こかう)し齒牙(しが)搖落す。所以(このゆゑ)に延壽(えんじゆ)書に云く、六陽共に盡く、則ち是れ全陰(ぜんいん)の人死し易し。須(すべか)らく知るべし、元氣をして常に下(しも)に充たしむ、是れ生を養ふ樞要(すうえう)なる事を。昔(むか)し呉契初(ごけいしよ)石臺(せきだい)先生に見(まみ)ゆ、齋戒して錬丹(れんたん)の術を問ふ。先生の云く、我に元玄眞丹(げんげんしんたん)の神秘あり、上々の器(き)にあらざるよりんば得て傳ふべからず。古へ廣成子(くわうせいし)是れを以て黃帝に傳ふ、帝(てい)三七齋戒して是れを受く。夫(そ)れ大道の外(ほか)に眞丹なく、眞丹の外に大道なし。蓋し五無漏(ごむろ)の法あり、儞(なんぢ)の六欲を去り五官各々其の職を忘るゝ則(とき)は、混然たる本源の眞氣彷彿(ほうふつ)として目前に充(み)つ、是れ彼(か)の大白道人(たいはくだうじん)の謂(いは)ゆる我が天を以て事(つか)ふる所の天に合(がつ)する者なり。孟軻(まうか)氏の謂(いは)ゆる浩然の氣、是れをひきゐて臍輪氣海丹田(さいりん・きかい・たんでん)の間(あひだ)に藏(おさ)めて、歳月を重ねて、是れを守つて守一(しゆいつ)にし去り是れを養ふて無適にし去つて、一朝乍(たちま)ち丹竈(たんさう)を掀飜(きんぽん)する則(とき)は、内外中間八紘(はつかう)四維(しゆゐ)總(そう)に是れ一枚の大還丹(だいげんたん)、此の時に當(あた)つて、初めて自己即ち是れ天地に先(さきだ)ちて生せず、虚空(こくう)に後れて死せざる底(てい)の眞箇(しんこ)長生久視の大神仙なる事を覺得(かくとく)せん、是れを眞正丹竈(たんさう)功成る底(てい)の時節とす。豈(あに)風に御(ぎよ)し、霞に跨(またが)り、地を縮め、水(みづ)を蹈(ふ)む等の鎖末(さまつ)たる幻事(げんじ)を以て懷(くわい)とする者ならんや。大洋を攪(か)いて酥酪(そらく)とし、厚土(こうど)を變じて黃金(わうごん)とす。前賢(ぜんけん)曰く、丹(たん)は丹田なり、液(えき)は肺液なり、肺液を以て丹田に還(かへ)す、是の故に金液還丹(きんえきげんたん)といふ。予が曰く、謹んで命(めい)を聞(き)いつ、且(しば)らく禪觀を抛下(はうげ)し、努め力(つと)めて治(ぢ)するを以て期(ご)とせん、恐るゝ所は、李士才(りしさい)が謂(いは)ゆる淸降(せいこう)に偏(へん)なる者にあらずや、心を一處(いつしよ)に制せば、氣血(きけつ)或は滯碍(たいげ)する事なからんか。幽微々(びゞ)として笑つて云(いは)く、然(しか)らず、李氏いはずや、火の性(せい)は炎上なり宜(よろ)しく是れを下らしむべし、水の性は下(くだ)れるに就く宜しく是れをして上(のぼ)らしむべし。水上(のぼ)り火下(くだ)る、是れを名(なづ)けて交(かう)と云ふ、交(まじは)る則(とき)は既濟(きせい)とす、交らざる則は未濟(みせい)とす、交は生の象(しやう)不交は死の象なり。李家(りか)が謂ゆる淸降に偏なりとは丹溪(たんけい)を學ぶ者の弊(へい)を救はんとなり。古人曰く、相火(しやうくわ)上(のぼ)り易きは身中(しんちゆう)の苦(くるし)む所、水を補ふは火を制する所以(ゆゑん)なり。蓋し火(くわ)に君相(くん・しやう)の二義あり、君火(くんくわ)は上(かみ)に居(きよ)して靜を主(つかさ)どり相火(しやうくわ)は下(しも)に處して動(どう)を主どる。君火は是れ一身の主(しゆ)なり相火は宰輔(さいほ)たり。蓋(けだ)し相火(しやうくわ)に兩般(りやうはん)あり、謂(いは)ゆる腎と肝となり、肝は雷(らい)に比し腎は龍(りよう)に比す。是の故に云ふ、龍をして海底に歸せしめば必ず迅發(じんぱつ)の雷(らい)なけん、但(たゞ)し雷をして澤中(たくちゆう)に藏(かく)れしめば必ず飛騰(ひとう)の龍(りよう)なけん、海(うみ)か澤(たく)か、水にあらずと云ふ事なし、是れ相火(しやうくわ)上(のぼ)り易きを制するの語にあらずや。又曰く、心(しん)勞煩(らうはん)する則(とき)は、虚(きよ)して心(しん)熱す、心(しん)虚する則は、是れを補するに心を下(くだ)して腎に交(まじ)ふ、是れを補(ほ)といふ、既濟(きせい)の道なり。公先(さき)に心火(しんくわ)逆上して此の重痾(じうあ)を發す、若(も)し心(しん)を降下(こうげ)せずんば、縱(たと)ひ三界の秘密を行(ぎやう)じ盡(つく)したりとも起(た)つ事得じ。且つ又我が形模(けいぼ)、道家者流に類(るい)するを以て、大(おほい)に釋(しやく)に異なる者とするか、是れ禪なり、他日打發(だはつ)せば大(おほい)に笑ひつべきの事有らむ。夫(そ)れ觀は無觀を以て正觀(しやうくわん)とす、多觀の者を邪觀とす。向(さき)に公、多觀を以て此の重症を見る、今是れを救ふに無觀を以てす、また可ならずや。公(こう)若し心炎意火(しんえんいくわ)を收めて丹田及び足心(そくしん)の間(あひだ)におかば、胸膈自然に淸凉にして、一點の計較思想(けいこうしさう)なく、一滴の識浪情波(しきらうじやうは)なけん、是れ眞觀淸淨觀(しんくわんしやうじやうくわん)なり、云ふ事なかれ、しばらく禪觀を抛下(はうげ)せんと。佛(ぶつ)の言(いは)く、心(こゝろ)を足心にをさめて能く百一の病を治(ぢ)すと。阿含(あごん)に酥(そ)を用ゆるの法あり、心(しん)の勞疲を救ふ事尤(もつと)も妙なり。天台の摩訶止觀に、病因を論ずる事甚だ盡(つく)せり、治法(ぢはふ)を説く事も亦甚だ精密なり、十二種の息(そく)あり、よく衆病を治(ぢ)す、臍輪(さいりん)を縁(えん)して豆子(とうし)を見るの法あり、其の大意、心火(しんくわ)を降下(かうげ)して丹田及び足心に收むるを以て至要とす、但(たゞ)病を治するのみにあらず、大(おほい)に禪觀を助く。蓋し繋縁諦眞(けいえん・たいしん)の二止(にし)あり、諦眞(たいしん)は實相の圓觀、繋縁(けいえん)は心氣を臍輪氣海丹田(さいりん・きかい・たんでん)の間に收め守るを以て第一とす、行者(ぎやうじや)是れを用(もち)ゆるに大に利あり。古(いにし)へ永平の開祖師(かいそし)、大宋に入(い)つて如淨(によじやう)を天童に拜す。師一日(いちじつ)密室に入(い)つて益を請ふ、淨曰く、元子(げんし)坐禪の時、心(こゝろ)を左(ひだり)の掌(たなごころ)の上におくべしと、是れ即ち顗師(ぎし)の謂ゆる繋縁止(けいえんし)の大略なり。顗師(ぎし)始め此の繋縁内觀(けいえんないくわん)の秘訣を敎へて、其の家兄鎭愼(ちんしん)が重痾を萬死(ばんし)の中(うち)に助け救ひたまふ事は、精しくは小止觀の中(うち)に説けり。また白雲和尚曰く、我常に心をして腔子(くうし)の中(うち)に充たしむ、徒(と)を匡(ただ)し衆を領し賓(ひん)を接し機に應じ及び小參普説(せうさんふせつ)七縱八横(しちじゆう・はちわう)の間に於(お)いて、是れを用ひて盡くる事なし、老來(らうらい)殊に利益(りやく)多き事を覺ゆと。寔(まこと)に貴(たつと)ぶべし。是れ蓋(けだ)し素問(そもん)に謂(いは)ゆる恬澹虚無(てんたん・きよむ)なれば眞氣(しんき)これにしたがふ、精神内(うち)に守らば病何(いづ)れより來(きた)らんといふ語に本づき玉(たま)ふものならむか。且つ夫(そ)れ内に守るの要、元氣をして一身の中(うち)に充塞(じうそく)せしめ、三百六十の骨節、八萬四千の毛竅(まうけう)、一毫髮(いちがうはつ)ばかりも欠缺(けんけつ)の處なからしめん事を要す、是れ生を養ふ至要なる事を知るべし。彭祖(はうそ)が曰く、和神導氣(わしん・だうき)の法、當(まさ)に深く密室を鎖(とざ)し、牀(しやう)を安(あん)じ、席を煖(あたた)め、枕の高さ二寸半、正身(しやうしん)偃臥(えんぐわ)し、瞑目(めいもく)して、心氣を胸膈の中(うち)に閉(とざ)し、鴻毛(こうもう)を鼻上(びじやう)につけて動かざる事三百息(そく)を經て、耳聞く處なく目見る所なく、斯(かく)の如くなる則(とき)は寒暑も侵す事能はず蜂蠆(ほうたい)も毒する事能はず、壽(じゆ)三百六十歳、是れ眞人に近しと。又蘇内翰(そないかん)が曰く、已(すで)に飢ゑて方(まさ)に食し未(いま)だ飽かずして先づ止む、散歩逍遙して務(つと)めて腹をして空(むな)しからしめ、腹の空(くう)なる時に當つて即ち靜室(じやうしつ)に入(い)り端坐默然(たざもくねん)して出入(しゆつにふ)の息(いき)を數へよ、一息(そく)より數へて十に到り、十より數へて百に到り、百より數へ放(はな)ち去つて千に到りて、此身兀然(こつねん)として此の心(こゝろ)寂然(じやくねん)たる事、虚空と等(ひと)し、斯(かく)の如くなる事久(ひさし)ふして、一息(そく)おのづから止(とど)まり出(い)でず入ら(い)ざる時、此の息(いき)八萬四千の毛竅(まうけう)の中(うち)より雲蒸し霧起るが如く、無始劫來(むしごふらい)の諸病自(おのづか)ら除き、諸障(しよしやう)自然(じねん)に除滅(ぢよめつ)する事を明悟(めいご)せん、譬(たと)へば盲人の忽然(こつぜん)として眼(まなこ)を開くが如けん。此の時人に尋ねて路頭を指す事を用ひず、只要す、尋常(つねに)言語を省略して儞(なんぢ)の元氣を長養(ちやうやう)せん事を、是(こ)の故に云ふ、目力(もくりよく)を養ふ者は常に瞑し、耳根(じこん)を養ふ者は常に飽き、心氣を養ふ者は常に默すと。予が曰く、酥(そ)を用ゆるの法得て聞いつべしや。幽(いう)が曰く、行者(ぎやうじや)定中(じやうちゆう)四大(しだい)調和せず、身心ともに勞疲する事を覺(かく)せば、心を起して應(まさ)に此の想(さう)をなすべし、譬へば色香(しきかう)淸淨(しやうじやう)の輭酥(なんそ)鴨卵(あふらん)の大(おほい)さの如くなる者、頂上に頓在(とんざい)せんに、其の氣味微妙(みめう)にして、遍(あまねく)く頭顱(づろ)の間(あひだ)をうるほし、浸々(しんしん)として潤下(じゆんか)し來(きた)つて、兩肩(りやうけん)及び双臂(さうひ)、兩乳(りやうにう)胸膈(きようかく)の間(あひだ)、肺肝(はいかん)腸胃(ちやうゐ)、脊梁(せきりやう)臀骨(どんこつ)、次第に沾注(てんちう)し將(も)ち去る。此時に當つて、胸中の五積(しやく)六聚(しゆ)、疝癪(せんべき)塊痛(くわいつう)、心に隨つて降下(かうげ)する事、水の下(しも)につくが如く歴々として聞(こゑ)あり、遍身(へんしん)を周流し、雙脚(さうきやく)を温潤し、足心(そくしん)に至つて即ち止む。行者再び應(まさ)に此の觀をなすべし、彼(か)の浸々として潤下(じゆんか)する所の餘流(よりう)、積り湛(たた)へて暖め蘸(ひた)す事、恰(あたか)も世の良醫の種々妙香(めうかう)の藥物(やくぶつ)を集め、是れを煎湯(せんたう)して浴盤(よくばん)の中(なか)に盛り湛へて、我が臍輪(さいりん)以下を漬(つ)け蘸(ひた)すが如し。此の觀をなす時唯心(ゆゐしん)の所現(しよげん)の故に、鼻根(びこん)乍(たちま)ち希有(けう)の香氣を聞き、身根(しんこん)俄かに妙好(めうかう)の輭觸(なんしよく)を受く。身心(しんしん)調適(てうてき)なる事、二三十歳の時には遙かに勝(まさ)れり。此の時に當つて、積聚(しやくじゆ)を消融(せうゆう)し腸胃(ちやうゐ)を調和し、覺えず肌膚(きふ)光澤を生ず。若(も)し夫(そ)れ勤めて怠らずんば、何(なに)の病(やまひ)か治(ぢ)せざらん、何(なに)の德か積まらざん、何の仙(せん)か成(じやう)ぜざる、何の道か成ぜざる。其の功驗(こうけん)の遲速は行人(ぎやうにん)の進修(しんしう)の精麤(せいそ)に依(よ)るらくのみ。走(そう)始め丱歳(くわんさい)の時、多病にして、公(こう)の患(うれひ)に十倍しき、衆醫總(そう)に顧(かへり)みざるに到る。百端を窮(きは)むといへども、救ふべきの術(じゆつ)なし。此(こゝ)に於て、上下の神祇(じんぎ)に祈つて天仙の冥助(みやうじよ)を請ひ願ふ。何の幸(さいはひ)ぞや、計らずも此(この)輭酥(なんそ)の妙術を傳受する事を。觀喜(くわんき)に堪へず、綿々として精修(せいしう)す。未(いま)だ期月(きげつ)ならざるに、衆病(しゆうびやう)大半消除す。爾來(じらい)身心輕安なる事を覺ゆるのみ。癡々(ちゝ)兀々(こつこつ)月の大小を記せず、年の閏餘(じゆんよ)を知らず、世念(せねん)次第に輕微にして、人欲(じんよく)の舊習(きうしう)もいつしか忘れたるが如し、馬年(ばねん)今歳(こんさい)何十歳なる事もまた知らず。中頃端由(たんゆ)有りて若州(じやくしう)の山中に潜遁(せんとん)する者大凡(おほよそ)三十歳、世人都(すべ)て知る事なし。其の中間を顧(かへりみ)るに、恰(あたか)も黃粱(くわうりやう)半熟の一夢(いちむ)の如し。今此の山中無人(むにん)の處に向つて、此の枯槁(こかう)の一具骨(いちぐこつ)を放つて、大布(たいふ)の單衣(たんい)纔(わづか)に二三片を掛け、嚴冬の寒威(かんゐ)綿を折(くじ)くの夜(よ)といへども、枯腸(こちやう)を凍損(とうそん)するに到らず、山粒(さんりふ)すでに斷(た)えて穀氣(こくき)を受けざる事動(やや)もすれば數月に及ぶといへども、終に凍餧(とうたい)の覺(おぼえ)もなき事は、皆此の觀(くわん)の力ならずや。我今既に公に告ぐるに一生用ひ盡(つく)さざる底(てい)の秘訣を以てす、此外(このほか)更に何をか云はんやと云つて、目を收めて默坐す。予も亦涙を含んで禮辭(らいじ)す。徐々として洞口(どうこう)を下れば、木末(こずゑ)纔(わづ)かに殘陽(ざんやう)を掛く。時に屐聲(げいせい)の丁々(たうたう)として山谷(さんこく)に答ふるあり。且つ驚き且つ怪んで、畏(お)づ畏(お)づ回顧すれば、遙に幽(いう)が巖窟を離れて自(みづか)ら送り來(きた)るを見る。即ち曰く、人迹不到(じんせきふたう)の山路(さんろ)西東(さいとう)分(わか)ち難(がた)し、恐らくは歸客(きかく)を惱(なやま)せん、老父しばらく歸程(きてい)を導かんと云つて、大駒屐(だいくげき)を著(つ)け痩鳩杖(そうきうぢやう)をひき、巉巖(ざんがん)を踏み嶮岨(けんそ)を陟(わた)る事、飄々(へうへう)として坦途(たんと)を行くが如く、談笑して先驅す。山路遙かに里許(りばかり)を下(くだ)りて、彼(か)の溪水(けいすゐ)の所に到つて、即ち曰く、此の流水に隨ひ下らば、必ず白川(しらかは)の邑(いふ)に到らんと云つて、慘然(さんぜん)として別る。且(しば)らく柴立(さいりつ)して、幽が回歩(くわいほ)を目送するに、其の老歩(らうほ)の勇壯なる事、飄然(へうぜん)として世を遁れて羽化して登仙する人の如し。且つ羨み且つ敬(けい)す。自(みづか)ら恨む、世を終るまで此等の人に隨逐(ずゐちく)する事能(あた)はざる事を。徐々として歸り來(きた)つて、時々に彼(か)の内觀を潜修(せんしう)するに、纔(わづか)に三年に充たざるに、從前の衆病(しゆうびやう)、藥餌(やくじ)を用ひず鍼灸(しんきう)を假(か)らず、任運(にんうん)に除遣(ぢよけん)す。特(ひと)り病を治(じ)するのみにあらず、從前手脚(しゆきやく)を挾(さしはさ)む事を得ず、齒牙(しが)を下す事を得ざる底(てい)の難信難透難解(なんげ)難入(なんにう)底(てい)の一著子(ちやくし)、根(こん)に透(とほ)り底(てい)に徹して、透得過(とうとくくわ)して大觀喜(だいくわんき)を得(う)る者、大凡(おほよそ)六七回、其の餘(よ)の小悟(せうご)、怡悦(いえつ)踏舞(たうぶ)を忘るゝ者、數(かず)を知らず。妙喜(めうき)の謂(いは)ゆる大悟(だいご)十八度小悟(せうご)數(かず)を知らずと、初めて知る、寔(まこと)に我を欺かざる事を。古(いにし)へ二三緉の襪(べつ)を著(つ)くといへども、足心(そくしん)常に氷雪の底(そこ)に浸すが如くなる者、今既に三冬(さんとう)嚴寒の日といへども、襪(べつ)せず爐(ろ)せず、馬齒(ばし)既に古稀を越えたりといへども、指すべき半點の小病も亦なき事は、彼(か)の神術の餘勳(よくん)ならんか。云ふ事なかれ、鵠林(こふりん)半死の殘喘(ざんぜん)、多小無義荒唐(むぎくわうたう)の妄談(もうだん)を記取して、以て佗(た)の上流を誑惑(きやうわく)すと。是れ宿(つと)に靈骨有つて、一槌(つゐ)に既に成(じやう)ずる底(てい)の俊流(しゆんりう)の爲に設くるにあらず。癡鈍(ちどん)予が如く、勞病予に類(るい)する底(てい)、看讀(かんどく)して仔細に觀察せば、必ず少しき補(おぎなひ)ならんか。只恐る、別人の手を拍(はく)して大笑せん事を。何が故ぞ、馬(うま)枯萁(こき)を咬(か)んで午枕(ごちん)に喧(かまび)すし。(終)